こんにちは。
おしゃべり大好き人間です。
日本人、寡黙すぎやしませんか?
人間なんだからさ
「職人の技は目で盗め(10年)」
「背中で語る」
「態度で示す」
いや、喋ろ!?
10年後に弟子が才能無しと判明した場合、あなたの秘伝の技が途絶えるかもよ!?
こんな考え方の私が弟子になろうもんなら、今の工程はなぜ左手なんですか?道具はなぜ宮城県産縛りなんですか?令和なのになぜ休憩無しなんですか?と、幼児もびっくりのなぜなぜ期を発揮し、少し黙れと言われる代わりに初日で破門になるでしょう。
そんな弟子失格の私の憧れは、海外のお店や道端で交わされる気軽な挨拶や、調子どう?みたいな知らない人との軽めの会話です。
ああいったコミュニケーションは防犯や監視の役割も持ちますが、それだけではなく、地域社会における他人との自然な関わり方で良いなあと思います。家族でも全くの他人でもないあのほどよい距離感。
でも日本ではその機会が圧倒的に少ない。道端でも飲食店でも電車でもエレベーターでもとにかく静か。
マナーや規律という視点から見ると素晴らしいと思います。
でも同じ空間にいても見ず知らずの他人とは空気のようになるあの感じ、境界線が極端すぎて少し緊張しませんか?
かといって気軽に突然話しかけようもんならこちらが怪訝な目で見られます。
お店の人の挨拶でさえ、あくまで店員と客の構図から繰り出されるマニュアルの挨拶で「個」は感じないし、癖が強すぎるアパレルの挨拶はもはやBGMと化している。
ラフさ、そう、ラフさがない。
国民性と言われたらそうなんですが、言葉で意思疎通できるのは人間だけなんだからもっと喋ってこうよ〜。と、思ってしまうわけです。
話さなきゃわかんない
言わなくても伝わると言う人もいますが、自分以外の人間に言わずして伝わることなんて一つもないんです。
伝わってると思っているそれは、相手が気にすらしていないかもしれないし、違う解釈をしているかもしれない。
伝わっているかどうかは、やはり言葉にして確かめるしかないんです。
気持ちが伝わって嬉しい時って、どちらかがきちんと言葉にして初めて、私もそう思っていた!解釈一致!!歓喜!!!ってなりませんか?
しかも私たちの話す日本語は、機微や感情を豊かに表現できる語彙の宝庫。
絶対に自分の気持ちを伝えるぴったりの言葉があるはずです。
人間は独りじゃ生きていけないので、煩わしさや恥ずかしさで会話を諦めないでほしいんです。
人間が死ぬまでに話せる言葉の数は決まっているそうなので、喋れるだけ喋っていきましょう。
私はこれからも店員さんに挨拶し、スーパーで知らないおばあちゃんと天気の話をし、散歩中の犬に調子を聞いていこうと思います。
普段から他人と雑談もできない人が、いざという時に大事な人へ気持ちを伝えられるわけがないですから。